「日本の音楽ビジネスとアメリカの音楽ビジネス」
という話題。
音楽仲間や欧米の留学・滞在経験者との会話ではよく出る話題なのだが
こうして十数年音楽と関わってきて見えて来たことは
「両国の、生活の中でどれだけ音楽が浸透しているかという違いは
まだまだかなりのものだ」
ということ。
日本のいわゆる音楽シーンというのは
(音楽シーンと語る時点で既に垣根が感じられるのだが)
例えばバンドに対して「あなたは私が熱狂するに値することをしてくれるの?」
という問いを常に行いながら、ライブなりコンサートなりを観ている。
演奏する方が真剣なら、聴く方も全力投球。
かたや、アメリカのコミュニティーでは、
「じゃあこれからパーティーに行こう。今日はバンドがいるのか。
とりあえず飲んで踊っとけ」
という感じ。
それほど踊れるバンドじゃなくてもかまわず踊るし、
友人の話だと、プログレの変拍子であってもパターンさえ汲み取れれば
若い女の子がガンガン頭を振って踊っていたりするそうだ。
それでもショービジネスの国だけあって、
日本で椎名林檎の劣化コピーが水面下で増殖したのと同様かそれ以上に
(いまだに日本のアーティストはアメリカの「それ」であるのも多いが)
アメリカではあからさまに売れているアーティストの二番煎じがあるし
誰でもよいというわけではなく質の高いオリジナルにこそ評価を与えている
(と少なくとも信じたい)。
ただ、こういうことをつらつらと書いてみると
ちょっと前になんだか広まった言葉
「消費する音楽」
ってなんだよ?と。
まだ評価を下されていないものには慎重である一方、
「これは売れている」「これはメジャーだ」と定評の付いたものには
値引き、レンタル、挙げ句の果てにファイル共有。
そして「良い音楽」を「使い捨てる」。
全ての人がそうであるとは限らないし、
日本もアメリカも違法コピーで満足している連中がいるのだけど
どこか違和感を感じるのは
「音楽がない生活を受け入れられるかどうか」、
それが残念ながら日本では
「別に求めるには至らないが、相当のものが与えて貰えるのならラッキー」
というものなのだろうか。
お歳暮やおもてなしの気質、
その距離感ってエンタテインメントとは相容れないよなぁ。